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ごあいさつ
歴史に心を奪われた旅人が切り取った、世界のいぶきを感じる写真と感動したことばたち。
「たびくまの都市史」は、くまをつれた日本近世史の研究者が、世界のあちこちで撮影した、珍しい写真や旅日記、旅先で考えたことを公開するサイトです。特に都市の歴史に興味があるかたは、ぜ ひご覧ください。ご感想やアドバイスをお待ちしています。
お知らせ


トキワ荘とカタルーニャと
復元されたトキワ荘前でひなたぼっこ。 東京、晩春の小旅行はトキワ荘マンガミュージアムと畏友、原正彦さんの写真展「カタルーニャ・クロッシング」を訪ねるものであった。相棒はいつものチール。 看板は当時の写真から復元された。 広場というものを考え続けて30年になる。今回の旅は、人びとが集う、という現象と意味、そして街にかならず広場が生まれるということ、などなど考える機会になった。 トキワ荘は現物は解体されて、ちかくに復元されている。生活感にあふれた展示から、若きマンガ家たちの広場であった時代を感じる。 ベランダも小さな「広場」だったかもしれない。 マンガ家が集まったという意味で、まずトキワ荘自体が広場であった。そしてトキワ荘の中の一段階閉じられた、マンガ家だけの広場、ベランダや共同の炊事場がある。 漫画家たちが編集者と打ち合わせる(言い訳する?)のに使っていたという公衆電話も再現。 あるマンガ家の部屋。窓の外は書き割り。 四畳半のそれぞれの個室にも、マンガ家がたむろするとき、そこが広場となる。安酒で議論したり、歌ったり、私の大学生活とも連続する時空間だ
千葉正樹


石巻に生まれて
桜に包まれた石巻城址(日和山公園)。大きい鳥居の奥が本丸。 石巻の通称日和山神社は、私が誕生して最初のお宮参りを済ませたところだ。両親はここで結婚式を挙げた。日和山の名の通り、かつて船乗りはここから天候を見通し、また、入港するときは「山当て」、山との角度や距離感で航路を探っていたという。 また、ここは戦国時代の城、石巻城の跡でもある。段々になった曲輪には、近代になって桜が植えられ、憩いの場所となった。 鹿島御児神社の鳥居からは太平洋を望める。 案内板でひなたぼっこするチール。 旧北上川河口の門脇には311のあの日までは稠密な住宅地が広がっていた。 あの3.11の日、太平洋に面した石巻門脇地区の方々は、日和山の急な石段を駆け上って、避難した。しかし犠牲は大きかった。私の勤めていた大学の学生もひとり、ここで命を失っている。私が父に連れられてハゼ釣りに行った岸壁は破壊された。自転車で駈け回った通りの記憶だけが残っている。 曲輪の跡はいいお花見スポットになっている。 北上川方向から望む石巻城址。川と海を支配する拠点だった。 かつて石巻城を拠点としていたの
千葉正樹


名古屋は春
名古屋の桜を楽しむたびくま、チール。 名古屋は爛漫の春であった。 今回の旅は、昨年2月に逝去された曽根原理さんのご業績を偲ぶ宗教思想史のシンポジウムに出席するため(3月22日・同朋大学)。たくさんの方がお集まりになり、曽根原さんが追求していた家康を神とした東照大権現を核とし、人が神になるという思想を追って、白熱した議論が交わされた。とても勉強になった。 さて、仙台から参加した私は前後の2泊をせざるを得なかった。おかげで以前から気になっていた名古屋城下町を、大急ぎで探索することができた。ひつまぶしにきしめんも堪能した。 内堀に近づかないと天守は見えなかった。 桜祭りで夜間開場していた。 名古屋に来たなら金のしゃちほこは欠かせない。 名古屋城下町は、家康が手がけた最後の都市建設となる。家康の天下が定まった慶長15(1610)年に建設を開始し、大坂夏の陣を終えた、元和元(1615)年に完成する。 江戸・大坂につぐ規模を持つ天守を高々とそびえさせ、整然と碁盤の目状の直線道路で町がプランされ、武士と町民をきちんと分けて、東海道を始めとする幹線を組み込んで、
千葉正樹
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