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ごあいさつ
歴史に心を奪われた旅人が切り取った、世界のいぶきを感じる写真と感動したことばたち。
「たびくまの都市史」は、くまをつれた日本近世史の研究者が、世界のあちこちで撮影した、珍しい写真や旅日記、旅先で考えたことを公開するサイトです。特に都市の歴史に興味があるかたは、ぜ ひご覧ください。ご感想やアドバイスをお待ちしています。
お知らせ


支倉常長の旅・ローマ編
ジャニコロの丘から遠望するローマ。 1615(元和元)年10月25日、支倉常長の一行はローマに入った。旅の最終目的地である。法皇の直接の命によって、仙台領での布教を行ってもらうことは、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)との交易路開拓と並ぶ、二大ミッションであった。非公式ではあったが、この日、支倉は教皇パウロ五世に謁見している。 私たち夫婦は、1989(平成元)年3月26日にローマに行っている。この前の日、私たちは結婚式を挙げた。つまり新婚旅行である。古代ローマの遺跡を見たかったし、ルネサンスの美術にも触れたかった。美味しいと聴くイタリア料理にもときめいていた。かみさんが支倉常長のマンガを依頼されるのはこの二年後である。支倉の旅を追いかけてローマに行ったわけではなかったが、このときの体験は大いに参考になった。 日曜日、法皇さまの祝福を受けようと、2万人を収容するという広大なサンピエトロ広場は雑踏となっていた。 広場を見下ろす聖人たち。 1615年10月29日、支倉一行は盛大な入市式でローマ市に迎えられる。カトリックの総本山、現在のバチカン市国をなす、
千葉正樹


支倉常長の旅・スペイン編
支倉のヨーロッパ最初の正式訪問地、スペイン・セビーリャ。その象徴、ヒラルダの塔。 私たち夫婦がはじめてスペインに行ったのは、1989(平成元)年12月から翌1月にかけて、団体旅行の旅だった。その次の年に、かみさんに支倉常長のマンガを描く話が持ち上がる。支倉一行の足跡を追う旅ではなかったが、重なるところも多く、あとあと参考になった。 支倉一行の宿泊地、セビーリャのアルカサル(王宮) アルカサルは14世紀の王、ドンペドロ1世が建て、イスラム風の装飾が見事だ。 支倉一行がスペイン、アンダルシアの中心地、セビーリャに到着したのは、1614(慶長19)年10月27日。一行の案内役、フランシスコ派の修道会士、ルイス・ソテロの出身地だ。一行は大歓迎を受けた。 宿泊したのは、アルカサルとよばれる王宮、現在のスペイン王室でも離宮となっている。14世紀のカスティーリャ王、ドン・ペドロ1世が建設した。ドン・ペドロ1世は青池保子の傑作『アルカサル―王城―』の主人公。織田信長に似ているといったらいいか、残酷王とよばれる厳しい一面とともに、近世を切り開く傑出した才を発揮した
千葉正樹


支倉常長の旅・メキシコ編
アカプルコの港近くの公園に立つ支倉常長の銅像。仙台と石巻にある、佐藤忠良製作のブロンズ像と同じ鋳型から作られた。 1991年の7月、私たち夫婦はメキシコに行った。慶長遣欧使節、支倉六右衛門常長の足跡をたどり、その見た景色を確認するためである。 ちなみに支倉常長と表記されることの多い支倉だが、史料上確認できるのは「支倉六右衛門」であって、「常長」は「長常」であったかも知れないとされる。ここでは支倉で統一して、話を進めたい。 なぜ、支倉の旅を追うこととなったか。それは前年の暮れ、仙台の出版社、宝文堂から、その事跡をマンガ化するという企画がかみさん、真弓のもとに持ち込まれたからであった。このマンガは翌1992年4月、『ファシクラ伝―支倉常長・サムライ地球を駆ける』として結実する。「ファシクラ」とは支倉のラテン語表記をそのまま発音した場合、そうなるからである。 いまはリゾート地として繁栄するアカプルコだが、かつては太平洋交易の中心だった。 支倉の旅は太平洋横断に始まる。伊達政宗と徳川家康の共同で進められた遣欧事業は、まずメキシコに到達することを目指した。
千葉正樹
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