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ごあいさつ
歴史に心を奪われた旅人が切り取った、世界のいぶきを感じる写真と感動したことばたち。
「たびくまの都市史」は、くまをつれた日本近世史の研究者が、世界のあちこちで撮影した、珍しい写真や旅日記、旅先で考えたことを公開するサイトです。特に都市の歴史 に興味があるかたは、ぜひご覧ください。ご感想やアドバイスをお待ちしています。
お知らせ


ドイツコレクション
ミュンヘン郊外のヴィース巡礼教会。広々とした草原の中にひっそり建っていた。 ドイツは美しい。2025年5月12日(日)から21日(水)までのドイツの旅で、その豊かさと落ち着きに魅了された。今回はくどくどしい話はやめて、写真集を御覧いただこう。 車窓から臨むドイツ・アルプス。 歴史的にはいろいろと言いたいことがあるけれど、森の中でふっと姿を現すノイシュバンシュタイン城には息を呑んだ。 今回一番気に入った街はローテンブルグ。肉屋さんの看板代わりの彫像。 街の人の心遣いが偲ばれる。 明け方に。街の明かりがまだ灯っていた。 街はいくつかの門で閉ざされている。 森の中に浮かぶローテンブルグの遠景。 バンベルクの教会の光。 日本人にとって忘れてはならない場所、ポツダムの凱旋門。 ツァーの悲しさ、ワイン祭りには参加できなかった。 ベルリンの壁はアートのために準備されていたかのよう。時間は過ぎた。 シュベーリン城の教会を花々越しに。 ブレーメンは音楽隊だらけ。 時には変形したりもする。 ケルンの大聖堂では頭の中でキース・ジャレットのピアノが響いた。 トルコから来
千葉正樹


遠野イメージ
遠野は霧で迎えてくれた。 たびくまチールは釜石線で遠野に向かう。 一編の書物がまちの運命を変えた。今回、2年ぶりの旅となった遠野では、観光と都市の歴史について、いろいろと考えさせられた。ざっぱくなメモばかりだが、たくさん写真も撮ったので、ゆっくりお付き合い願いたい。 まずは柳田先生にごあいさつ。 遠野の未来を変えた書物、それはいうまでもなく柳田国男『遠野物語』である。1910(明治43)年に自費出版されたこの本は、すぐに商業出版されて読み継がれ、日本民俗学の夜明けを告げるものとなった。『遠野物語』に魅せられた研究者や文学者は次々この地を訪れ、そこに民俗学のファンも加わっていく。昭和50年代には民俗学を主軸とする日本初めての博物館、遠野市立博物館の開館もあって、遠野の旅はひとつのブームとなった。 しかしそのころは、以前、このブログでも紹介したように(項目・「遠野の『ふつう』に惹かれて」を御覧ください)、博物館以外には一棟の曲り家を移設復元した伝承園があったぐらいで、遠野ファンたちはバスや自転車、徒歩で「ふつうの田舎町」遠野を巡り歩いていた。「ふつう
千葉正樹


震災の街をいく
名取市北釜の神社。津波に流されずに残った。左手の青い標識の線まで波は到達した。 閖上の防災公園。モニュメントの一番上が津波の高さ。 名取市史の編さんをお手伝いしている。東日本大震災の津波で市域の半分が浸水した街、海沿いの一帯には史料が残されていない。手がかりは限られている。 しかし、閖上=ゆりあげと読める人は増えた。震災以前は宮城県内でも読める人は限られていただろう。閖上にボランティアのみなさんが入ったり、マスコミに取り上げられたりする中で、失われた街、閖上は地名を人口に膾炙していった。 かつての閖上の街を記憶からよみがえらせた模型。家の名前が地元の人びとの手で加えられた。 閖上は仙台城下からそれほど遠くはない。江戸時代でも日帰りが可能だった。そこは魚影が濃く、水鳥が集っていた。仙台藩の歴代藩主は御仮屋、すなわち狩遊のための施設を維持しつづけ、時には泊まりがけで、鷹狩りや漁りを楽しんだ。そこには地域の有力者も訪れ、贈答とともに地域情報が集積する場ともなったのであろう。藩主はときに政治をも行った。「御家」すなわち行政機関であった時代である。...
千葉正樹
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